いい旅を、と誰もが言った   北へ  27年前の北海道ソロツーリング!

 
 
独身の時の膨大な書籍が、実家には まだ 全部ではないが残っている
片岡義男が読みたくて探していたら
 
北海道ソロツーリングのアルバムが出てきたぞ!
 
 
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R238 オホーツクライン 当時はこんな名前なかった!
 
 
27年前の 梅雨時期に 深夜横浜を旅立った
 
まだ 東北道が 埼玉から仙台ぐらいしかなく
当然 湾岸もないし 首都高とも連結していない
都内を抜けるのに 下道をトコトコ行くしかない 
だから 空いている夜中に抜けなければ・・
 
今なら 一日で 北海道行けるだろうけど(若ければ)
 

かなりの距離を一般道で走らなければない しかも小雨で寒い
 
それでも 770km走って十和田湖奥入瀬まで午後4時ごろ着いた!
疲労感があったんで 民宿に泊まった 
 
全行程 半月で 宿に泊まったのは2回だけ 後は すべてテント野営!
でも 有料無料の温泉が各地にあり 風呂には困らない
 
 
 
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弟子屈の開陽台 天気が良ければ360度地平線が!
当時のツーリングライダー・バイク乗りは、皆若い あたしとブラックのZ2氏が22才で最年長 おじさん扱い
みんな 10代だ やはり憧れのZ2とKATANAらしい!
 
 
 
目的は、一つだけ とにかく最北端 宗谷岬に立つこと それだけ

相棒は GSX750Sカタナ 荷物満載なので セパハンだと不安定
カッコ悪いけどノーマルハンドルに戻す!
 
2日めに道内に入る
 
それから 12日間 道内をぐるぐる 
400km近く走る日もあれば20kmぐらいの日もあった
(そういう日は ルアーを投げていた)

国道は取り締まりが厳しい とくに 道外ナンバーは狙われる
だからなるべく 道道を走る 
 
当時は、まだまだ 未舗装が多い
100kmペースで走っていると いきなりダートになるんで
何回か 転倒しそうになる セパハンならアウトだった気がする
単調な道だけに 気を抜けない

現に GS750で転倒 修理不可能で そのまま放置して
来たという数台のグループがいた 男二人タンデムはキツかろうに
 
子供の時から想像していた 道の終わりはなかった
R238号線 宗谷国道の道沿いに 最北端の碑があるだけ
 
遠く 樺太が見えて  なんか涙がこぼれてきた

目標達成!   あとは 南下するだけだ! 
 
浜頓別 のクッチャロ湖のキャンプ場で 夕日見ながら
見知らぬライダーたちとシェラカップで飲んだ ビールの味は今でも忘れられない
 
熱き心・・  燃える男の~ 赤いトラクタ~♪
 
 
 
 
7月だというのに とにかく寒い 
今年と違って オホーツク高気圧が強く とにかく寒い
 
礼文島じゃ 朝方 4度なんて日もあった
EPIガスコンロを ストーブ変わりに 
 
島じゃ  だれも取らんから ウニ取り放題 ビクトリノクスで割って
スプーンですくって食べちゃう! 
 
ネイティブな魚が釣れんのが残念(時間があれば 絶対釣れたんだけど)
街まで出て 魚屋で ホッケ?トラウト?買って丸焼きにしたな

今は、わからないけど? 
とにかく 国道沿いにコンビニはもちろん GSさえない
街でガス補給しとかないと えらい目にあう
まあ 30年近く前だからね!?
 
でも 各地にキャンプ場が整備されていれ 野営には最適だった
 
しかし・・・
 
ひっとこ一人いないキャンプ場は怖い!
怪談めいたことも なんか 経験するんだな~! 
男でも  怖くないけど やはり 心細い

だから
 
同じ ツーリングライダーとは すぐ仲良くなる 人恋しくなっちゃうんだな
 
女性ライダーは さすがに一人もいなかったねぇ
 
 
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当時最新鋭の GSX750SKATANAとXL250R
その後 この XLが欲しくなり 中古で購入した!
サングラスが 若いルンさんだけど ウェイファーラもどき?
 
 
数多くのツーリングライダーと知り合い 手紙(年賀)で音信もしばらくあった
今みたいに SNS や メールがあればね~!
 
帰りは 本州走る気がしなくて 苫小牧より 大型フェリー 疲れのせいか爆睡
ほとんど寝てたな 次は 九州だな なんてかんがえながら?
 
東京港に着いたら 妙に街の雑踏が耳についた!? 
 
 
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