チャリンコ ジョニー Johnny's Room Ver5.01 Johnny of the F1 Racer

Johnny of the F1 Racer
 
世界で唯一の「4ローター」エンジンを搭載し
世界で唯一の「レシプロ以外のエンジン」でル・マン24時間に優勝した
 
 
 
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エンジンは、形式名はR26B。
レース用/26は4ロータの総排気量の2600cc
654x4)/Bは基本となった13Bから命名

 
 
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ペリフェラルポートインジェクション仕様のR13B
の2基掛けだから R26B?
凄いマシンだけど、 車の紹介ではない
 
今回は
日本車として唯一 ル・マン24時間レースで優勝に導いた男
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                                                     チャリンコ・ジョニー?

日本でも活動(全日本F3000や全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権など)
してた明るく人なつこいキャラのドライバーで ご存じのかたも多いだろう
 
 
決して、チャンピオンになれる存在では、無かった
(そうならざるを得なかった)けど、心に深く残る男だ!
 
1987年。。
彼は、「F1登竜門」だったイギリスF3を制し、翌88年からジョーダンで国際F3000に参戦。

中盤には、ベネトン チームと契約し、F1デビューも確定していた。。
全てが上手く行っていた・・・・・・・(-_-)ウーム
 
あの事故までは
ブランズハッチでの大クラッシュで、ジョニーは足を複雑骨折。
以後、彼の右足首が曲がる事は無かった・・・・。
 
翌89年
ベネトンチームからF1デビュー。
 
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           ベネトン・フォードB188 ジョニー・ハーバート1989  プラモだよ!

松葉杖をついて歩くジョニー。
 
彼の足は完治してはいなかった。
 
彼は、迫る「痛み」をコックピットに足をぶつけて「麻痺」させる事で必死に走った。。
そして、何と F1デビュー戦にして「4位入賞」と言う快挙を成し遂げる!!!

あのプロストですらデビューは6位だったのだ(セナはデビュー戦リタイア)。。

彼はパドックにいつも自転車を持参。
移動は、いつも自転車だった。。

そんな彼に当時ベネトンのメカニックだった「津川哲夫」氏が付けたあだ名は、

 チャリンコ ジョニー

大きなハンデを背負わされた「チャンピオン候補・・だった男」の長い戦いが始まった。
 
 
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90年から94年までロータス
 
95年ベネトンに戻り
イギリスGPで初優勝してる
でも シューマッハとデイモン・ヒル接触
転がり込んだもんだけど
それでも、イタリアGPでも優勝している
 
この年は ポイントランキング最高の4位に付けている
ベネトンチームがシューマッハ完全優先なのに不満で
チームを去ることに
 
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96年 ザウバーに在籍 3位が一度だけ
97年 6回入賞 
99年 スチュワート(ジャガー)に移籍 
    第14戦ヨーロッパGPでチームに初優勝をもたらした
 
00年 最終戦マレーシアGPで
    トラブルからクラッシュを起こし骨折
    病院へ搬送される事態となった
 
 
本人曰く 「僕のF1キャリアは骨折で始まり、
     骨折で終わったことになる」と冗談めかし語った。
     
  同年限りでのF1引退を表明

滅多にドライバーを誉めなかったというジェームス・ハントが、
その才能を高く評価していた。
事実、「ナイジェル・マンセルと同じマシンに乗れば、
マンセルより速いだろう」とコメントしていたのだ
 
 
 
F1引退後はアメリカン・ルマン・シリーズ(ALMS)を中心に活躍している

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2008年には元F1ドライバーらで競われる
スピードカー・シリーズに参戦し初代シリーズチャンピオンとなってるぞ
まだまだ若い!
 
 
 
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        ジョニー・ハーバート(John Paul Herbert  )1964年6月25日、イギリス生まれ
 
 
 
 
 
 
 
 
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